南太平洋のはるかかなた、4千キロも離れたマルケサス諸島から、はじめてポリネシア人が
ハワイ諸島へやってきたのは、A.C.500〜700年頃といわれています。
A.C.900年ごろには、タヒチから、ハワイ諸島への移住が頻繁になって、カヌーにタロイモやココナッツ、
家畜を乗せて、家族を伴った大集団がハワイに押し寄せたということです。
もっとたどれば、ポリネシア人の祖先は、紀元前B.C.3000〜2000年頃、東南アジアから渡って来た
モンゴロイド系の人種だといわれ、彼らはソロモン諸島、バヌアツ、フィージー、トンガ、サモアへと移り定住し、
その後マルケサス、タヒチ、ニュージーランド、ハワイ、ラバ・ニュイ(チリのイースター島)へと
海を越え進んでいきました。
その間に独自のポリネシア文化と航海術を生み出していったのです。
西洋史の大航海時代よりずっと昔に、彼らは小さなカヌーを操り、大海原を移動していたのです。
その後14世紀になると、タヒチ人のハワイへの航海はぷっつり途絶え、イギリス人のキャプテン
ジェームズ・クック率いる遠征隊が18世紀(1778年)にハワイに上陸するまでの数百年間は
ハワイは鎖国状態にありました。
外界との接触が閉ざされていた間、生まれによる階級の違いがありましたが、
とりわけ司祭の支配は首長の持つ権力と同じくらい強いもので、両者の間には
常に領土や勢力争いが起こっていました。
しかし、ハワイに移り住んだポリネシアの人々は、タロ芋を栽培し、豚や鶏を飼い、漁をして暮らし、
ヘイアウという神殿を建て、その言葉や文化を発達させ、自然と共に生きる精神性豊かな社会を
築きあげました。
古代ハワイには “カフナ” Kahunaと呼ばれるいろいろな分野の「専門家」、「エキスパート」、
その道の「達人」がいました。
航海、気象学、カヌーづくり、建築、医療、薬草、治療、マッサージ、詩、祈り、予言等々のカフナ達です。
カフナには性別は関係なく、弟子になり長年の訓練を重ね知識を伝授されるのです。
昔、地球上のあらゆる場所でも、カフナに相当する専門家達が人々の生活に関わっていました。
ヨーロッパでも、東南アジアの様々な国でも、チベットでも、インドでも、アメリカのネイティブ・インディアンの
社会でも、オーストラリアのアボリジニも、そして日本でも、医療や薬草、治療に関わる
シャーマンやメディスン・マンやメディスン・ウーマンに相当する専門家が必ずいました。
病気を治療する専門家は、軽い症状から重い病気まで治療し、様々な薬草や植物、
そのほかの自然のものを使って治療に当たりました。
またスピリットと交信して患者の治療にも当たりました。
古代ハワイの医療専門のカフナは、あらゆる角度から病気を見ることで患者を治療していました。
誰かに呪われたり、カプ(タブー、禁じられていたこと)を破ったり、家庭内の問題があったり、
神を怒らせる行為(たとえば盗みなど)を行ったりしたので、病気になったかもしれないと考えました。
心と身体とスピリットは常につながっていると考えていたので、
病気は心の状態と深く関わっていると考えていました。
カフナは病気の原因をつきとめ、儀式を行い、祈りやチャント(詩に節をつけて歌う詠唱)、薬草
やマーサージで病気の治療にあたりました。
フナとはハワイの言葉で「隠された秘密」を意味します。秘密の秘儀、知識を司る人が つまりその道の専門家であり、カフナであったのです。
しかしキャプテン・クックの到来と共に、鎖国状態は放たれ、西洋文化が一気に流れ込み、 宣教師たちが西洋の価値観を広めるために押し寄せ、ハワイ固有の文化や信仰や言葉は
すべて禁止されてしまったのです。
このときからフナの教えはすべて人の目の触れるところから覆い隠されたのです。
(世界のどの場所でも同じように西洋化とともに、西洋人たちの利害に合わないので、
それらの教えは邪悪なものというレッテルを貼られ、否定され、封じ込められてきています。)
ハワイへ来た宣教師の一部は土地の所有者になり、大規模なプランテーション産業が生まれ、
世界各地から労働力となる人々がハワイへ続々と移住して来たのです。
中国、ポルトガル、日本、フィリピン、サモア等々、様々な人種が入り混じる社会へと
変遷していくのです。
否定され、禁止され、覆い隠されたフナの素晴らしい教えはやっと近年になり、 そのヴェールを取り外されるようになり、復活への道をたどり始めました。
フナの教えを知ることは、古来からの人間の本来持っている素晴らしい知恵にふれることです。
古代ハワイの生きる知恵にふれ、本来のあるべき姿へ戻っていくことです。
宇宙とつながり、自然とつながり、スピリットとつながっている本来の自分を取り戻していくことです。